教員メッセージ

心豊かに元気に生きるためのヒントを毎月お届けします。

子どもを許しすぎてはいませんか 集団生活における個人の自由と判断力
水野 建雄教授

他人の迷惑を省みず自由奔放に振舞う子どもたち。
上司に叱られただけで社会に背を向けてしまう若者たち。
そして、自由とわがままの線引きができない大人たち。
個人の自由だけが主張されがちな世の中です。
集団生活のなかでお互いを尊重し、
一人ひとりの役割が守られているか、
周囲を見まわしてみてください。

 

教員プロフィール

水野 建雄(みずの・たつお)
八洲学園大学教授・副学長

東京教育大学文学部卒、同大学院修士・博士課程、文学修士。
筑波大学教授・人文学類長・第一学群長を経て現職。日本家庭教育学会副会長

「自由」と「わがまま」は違う

「人間は自由なのだから、何をやっても許される」と個人の自由だけが主張され、集団生活のなかでお互いを尊重したり個人の役割を重んじたりすることを軽視する風潮が、現代社会にはあるように感じます。学校においても、校則を生徒に守らせようとするだけで、「自由の拘束ではないか」と問題視されるケースがあります。このような風潮の影響からか、今の親たちは、我が子のわがままを許しすぎてはいないでしょうか。 大人も子どもも、自分で自分のことを決められる権利をもっていますが、子どもの権利を守ることと、子どものわがままを許すことは区別すべきであると私は思います。たとえば他人の家のガラスを割ってしまった子どもは、「子どもがやったことは親の責任」と親が謝罪し弁償することによって許してもらってはいませんか。ということは、子どもが自由奔放に振舞えるのは、大人に保護してもらっているからです。親が責任をとっている範囲内で子どもは自由であるのですから、子どもの決定権は完全に認められているわけではありません。子どもには責任能力がない分、子どもの自己決定権は制限されて当然ではないでしょうか。

たとえば健康への害がはっきりしている煙草を吸うことなどは、普通から見れば愚かな行為です。しかしそのような愚行でも大人には認められています。それは愚行権といわれますが、子どもには愚行権は認められていません。愚行権も含めて自己決定権は、責任をもった判断能力のある大人だけに認められています。日常生活の場で、子どもが一定の時期に達するまでは親がきちんと判断すべき問題はたくさんあるように思います。

イギリスの思想家ジョン・スチュアート・ミルは、「他者に危害を及ばさないかぎり、個人は何をしてもよい」と述べています。つまり、他者を肉体的あるいは精神的に傷つけたり迷惑を掛けたりしなければ、個人の自由は守れる、自己決定権がある」ということです。ミルの考え方に照らし合わせてみても、判断力のない子どもに自分のことを自分で決める権利を無条件で与えてしまうのは、リクスが高いといえるでしょう。

なぜ集団生活になじめないのか

「自分の行為は人の迷惑になっている」と自覚できる子どもが少ないように感じます。子どもにかぎらず自分の行為の良し悪しを判断できない人が増えた要因にひとつに、大人になったと自覚する機会が少なくなった点も挙げられるでしょう。昔は、成人式を迎える前に、厳しいハードルを乗り越えないと大人になることを許されない地域がありました。私が育った村も例外ではなく、私よりも一世代前くらいの青年はみんな高校生ぐらいになると地域の青年団に入ったものです。青年団に入る際は、度胸試しを受けて合格できなければ入団できません。恐怖心を克服できるか否かで、一人前になったことを試されるわけです。また、青年団のなかには上下があり、先輩のいうことは何でも聞かなければなりませんでした。厳しい規律のなかで、目上の人との接し方なども自然に学んでいったように思います。

成人式は本来、大人になるための儀式だったのですが、今は大人になったことを自覚させるきっかけがありません。そのことが、「大人なのだから」と自分の行動に責任を負う意識の欠落につながっているように思います。また、学校においても、集団のなかにおける生活指導がきちんとされているかは疑問です。クラス内で一人ひとりが役割を果たし、一致団結して何かをやり遂げる機会がだんだん失われてはいないでしょうか。

先日、ニートと呼ばれる人たちにインタビューしたテレビ番組を見ました。なぜ社会に挫折してしまったのかを彼らに問うと、ほとんど人たちが人間関係を挙げていました。最初からニートでいた人は少ない一方、社会に出てから人間関係をうまく築くことができなかったり、上司から命令されただけで仕事が嫌になったりした人たちが圧倒的に多いのです。集団生活になじめなかったことが一番の原因のようでした。

子ども同士で遊ぶにしても、以前は大勢でドッジボールをするなど集団で動いていました。しかし今は、せいぜい2、3人で固まってゲームをしているのが実情でしょう。脳科学者として知られる澤口俊之氏は「親、きょうだい、親戚、近隣の人たちとのつながりのなかで成長することで、子どもの脳も心も育まれていく。8歳までに集団で遊んだ経験がない子どもは社会性が育たない」と述べています。小さい頃から集団で遊んだ経験のある子どもは、集団のなかで慈しむ心や協力して物事を成し遂げるすばらしさがわかっていますから、自分ひとりで判断できることも、自分だけでは判断できないことも心得ているはずです。

家庭教育が社会生活を左右する

子どもの成長は個人差がありますから、同年齢でも、大人のような判断力をもっている子もいれば、まだまだ判断を任せられない子もいます。物事をきちんと判断できるように指導するのが大人の役割ですが、そのためには小さい頃から社会性を身に付けさせることが重要ではないでしょうか。子どもの数が減り、近所付き合いが希薄になっている今、学校や地域の行事などには子どもを積極的に参加させ、できるだけたくさんの人と触れ合ったり遊んだりするチャンスをつくってあげましょう。

いうまでもなく、集団生活の基本は家庭にあります。家庭のなかでは、親が家族の進む方向を決めていることを子どもは暗黙のうちに了解しており、親が示す方向に家族が協力して動くなかで、子どもの判断力も自然に培われていくのではないでしょうか。ですから、家庭という集団生活のなかで、「許されることと許されないことがある」と親は時には厳しく子どもを指導しなければなりません。「人間は自由なのだから、何をやっても許される」といった風潮にあるからこそ、集団生活のなかでどのように育てられたかが、どのような大人になるかを左右するのではないでしょうか。家庭で親とうまく生活してきた子どもは、社会に出てからも集団生活がきちんとできるはずです。

家庭内で起きたさまざまな事件がクローズアップされるたび、日本の家庭教育は崩壊してしまったといわれますが、深刻な問題を抱えているのはごく一部の家庭で、大部分の日本の家庭は健全であると私はみています。けれども、問題がまったくないわけではありません。本学への入学を検討中のみなさん、すでに在学しているみなさん、入学動機や目的は人それぞれでしょうが、みなさんに共通するのは、誰もが育ってきた基は家庭にあるということです。本学では家庭教育関連の科目を多数設置していますから、子育て中のお父さんやお母さんはもちろん、教育機関や地域社会で子どもたちと接している方がたも、ぜひ学んでみませんか。日本の家庭教育を良くしようなどと肩に力を入れる必要はありません。日常生活のなかでふと立ち止まり、今の家庭の状況をみんなで考えてみることが大切です。


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